第5回講演会 子どもが育つみちすじ
そうやって10年ほど行きます。
船出ですが、試験航海と思って下さい。まだ港の内です。
遠いね、いきなり遠い遠いインド洋のむこうまで船は行く訳じゃありません。たぶん船出したばかりの小さな小舟はね、その辺うろうろうろうろしていて、母港 を後ろ見ては「帰りたいなぁ」と思い、「でも、帰らないぞ」と思い「でも困ったら帰っておいで」って声が聞こえると「うん、困ったらあそこへ帰ろう」と 思って、なかなか帰らない。これが一番健康な姿です。
そして、本当にひっくり返って前にも後ろにも動けなくなる。学校に行かれない。あるいは対人恐怖になる。そして引きこもりたくなる。あるいは苦しくてたまらなくって手首を切る。
いろいろな症状が思春期には荒れ狂いますけれど、その彼らが、船がもう前にも後ろにも進まなくなるという思春期の危機ですが、その時に子どもたちはどうするか、若者たちはどうするか、帰ってくる訳です。
帆柱が倒れてますからね、船があちこち傷ついてる訳ですから母港に帰ってきて。
母港というのは親御さんのところ、あるいは私のようなところ、帰ってきてそして暫しそこに碇を降ろしてもう一度自分を見直してみる。
そして、あちこち自分で眺めて傷を癒して、あー自分はこんなにも間違いも失敗もあるけれど、でも、よくよく見れば、自分は自分なりの力があって、全然駄目 だという彼らが、自分のことは「駄目な人間で、好きなところは何もなくて、大人になっても何も出来ることはありません。」
と、たいていの若者は言いますが、私の前で。
でも、じーっと考えてみるとそうではない。赤ちゃんのときから今まで歩いてきた自分、そしてそこで蓄えた自分、人と比較ではなく自分には自分なりに持ってきたものがある。と、ふっと気付きます。
そして、彼らは再び、では出て行こうかと、もう一度あちこち直した船はまた出かける。また帰ってきてまた出かける。まあそれが一番思春期のイメージに似合ってますが。
その時に、帰るべき母港を持たないものは不幸です。あるいは、もう母港に帰らないままに本当に船が沈んでしまうととても胸を痛めます。残念に思います。
思春期は危ない時期というふうに前提をおいておかれた方がいいというのはそういう意味です。
私たち大人が出来ることは、まあ岸壁で大声で叫んで「帰っておいでー」って言うしかありません。彼らに成り代わって船に乗ってはなりません。
彼らは彼らの問題を最後まで自分の問題として考えていく。ただ胸を貸し、側で見ていてあげて、「私が見てるよ、見守っているから行ってごらん」って言う。そういう母港の人がいれば随分思春期は力づけられます。
そして、次の三幕、皆さんも通って来られて、どうぞ目をつむってご自分の10代を思い返してみて下さい。
そして、二十歳になりました。社会的変化がきます。これは成人式です。
まあよく物議をかもしてますけどね。20歳生きた時、どんな人も日本という社会では、成人と認めます。中身を決して問いません。そして、この日をもって選挙権がきます。お酒やたばこも自由です。そして、言論も宗教も結婚も職業も何も自由です。日本という国はね。
すべての国がそういう訳ではありませんが、ま、多くの先進諸国はそうですね。つまり、自立する、一人で生きられる訳です。
自分の自由を右手に持って立ち上がる訳です。「さあー生きていくぞ」と。
私の思うように生きていくよということが、これを本航海と私はイメージします。今までの港の内のね、試験航海を終えていよいよ本航海です。皆さんもある日、外へ社会へ参加されたと思います、自立して。
そしてもうひとつ、片手に自立、片手に共存、人と共に生きるというテーマに必ず遭遇します。
海というのは社会ですからね、社会にはもうひたひたと人がいて、必ず誰か共に生きる、共に生きることから逃げ出す訳にいかないんです。これもう諦めるしかないんです。
人間は生きていく上に、人と共に生きていくしかない、これを共存といいます。
