第5回講演会 子どもが育つみちすじ
五感というのは、触覚、触れること、触れるのは体中どこからでも分かります。温度だとか痛覚含めて、触ったらすべすべしとるとかね、堅いとか分かるように、これも1センチでも離れていたら触ってなかったら分かりません。触ったら分かりますね。見事なもんですね。
直接に体験するということと、体験しない。単に言葉で聞いたり話を聞いただけでは、この黒板のこの感触というのは、触ったら一瞬のうちに分かりますけどね。
どんなに他人に説明を受けても触らなかったら分からないでしょう。これが五感、触覚、あとは入口は決まってます。視覚と聴覚と味覚と嗅覚ですね。
この五感という五つの感覚ということですが、これが結局孤独な私たちの営み、皆さんもお一人お一人ご自分が中にいらっしゃって、実はご自分の中にあるもの私だけのもの、皆さんのだけのものなんですよ。もともと誰もそこに入れない訳です。
今皆さんが何を考え、何を欲望していて、どんなことを感じているかこれは自分だけのものですね。ところがその自分という堅い自己の殻、自己の境界線を突き抜けて入ってくるもの、これを刺激といいますが、この刺激を受け入れることがこの五感なんです。
ここが五感、ここを通って声が飛び込んでくる、ここを通って何かが見える、何かに触れる、何かの臭いがする、味がある、ここは生き生きと目覚めますねェ、ここを通り抜けてこの中で何かが起こる、そしてそれがずーっと体の中に痕跡をとどめる訳です。これを体験といいます。
体験というのは体の経験ですね。これを覚えているとか覚えていないとは関係ありません。
関係ないというよりも私たち覚えていないことは体験していないように思うけれども、赤ちゃんの時の産湯が熱かったか寒かったかそんなことも覚えてません し、お母さんとどんな出会いをしたか何も覚えてませんが、覚えていないからなかったじゃないんです。覚えていなくっても体は突き抜けていったものっていう のは、必ずまざまざとこの体の中に何かの痕跡を残している訳です。
で、そういうふうに考えます時に、乳児期は五感なんですね。これは保育園の先生方、そしてお母さんをサポートなさる方たちに、赤ちゃんは五感を通してね、 この未知の人間世界、人の世界っていうは彼らは何も知りません。お母さんの子宮の中が10ヶ月の世界でした、宇宙でした。
それが一挙になくなってこの世に飛び出してきて、そこでお母さんも見る、お母さんの声を聞く、あ、これは覚えがあるぞって思うんでしょうね。愛育会の先生 の有名なビデオを見たことがありますが、ほんの2,3週間、生まれてもう数日ですかね、お母さんが私がママよ、○○ちゃんいい子ねと声をかけると、体は赤 ちゃん、顔が見えてないのに声だけでね、こうやって震えます。
同じような年齢の若い女の方に同じセリフで言っても知らんぷりしてます。
つまり、お腹の中に10ヶ月間のお母さんとの絆、すでに生物体としての深い深いつながり、表面的ではないもっと奥深い記憶ですね、そういうものが目覚める訳です。
「あー私は守られているこの人のそばにいよう」って思う。で、お母さんの方もたいてい腕(かいな)に包み込みますねえ、この時期の大切なことは包むってこ とですが、包む、皆さんも保育士さんなさっててね、赤ちゃんが泣けばたいてい抱きますよね、こんなところで抱いていません。
たいてい自分の胸に近く引き寄せて腕(かいな)で、なるべくどこもかしこも包んであげたいという思いで愛撫しますね。非常にシンボリカルですね。こう全部包んであげたいと思ってるからですよ。あっちあっちへ放り出そうとなさらないでしょう。
