第5回講演会 子どもが育つみちすじ
それは、信頼感を与えてあげてこの子を愛して守ってあげたいと思っていたら丁度いい加減になります。どんなに頑張ったって80点か70点位しか取れません、どんなお母さんも。
だって赤ちゃんとお母さん、別人ですから、100%子どもの欲求が分かる訳ないです。一生懸命側にいても泣きやまない時、こっちが泣きたくなりますね。 「何か言ってよ、何がしてほしいのか、してあげるから」・・・言いたくなる。でも、何をしてもね、おむつを替えてもおっぱいをあげてもお白湯をあげても何 をしても泣きやまない時、子どもはその間ずーっと怒ってます。つまり、自分の欲求にたどりついてもらえないから。
で、最後に眠かった。もうやっと、寝入った時の幸せな顔を見て、「あー眠かったの、ごめんごめん」って。そういうことしょっちゅうありますね。それはこの 子になんとかしてあげたいと思うお母さんや先生が10点ほど引かれてしまうけど、その引かれ方とっても意味がある訳です。
最初からどうでもいいですわーって言ったらもっと悪くなります。やっぱりね、なんとかこの子が気持ちよくなるようにしてあげたい、という素朴なごくごく健康で平凡な考え方で十分です。
そして、一生懸命してみて子どもが待っている時間があって、でも待てば必ずくる、という経験を100回も1000回もする。
そうすると、赤ちゃんはここで希望という人格的活力を身につけると、私は特によく使うんですが、赤ん坊の時にはね、人間の人格的活力として自分の人格を組織づける強い力のひとつが希望ということ、希望のもてる人というのはね基本的信頼感です。
つまり、この世に失敗やら間違いやらいっぱいあって、暗―い夕暮れがあるでしょう。
仕事に失敗するか、友だちとあるいは恋人とうまくいかない、夫婦がうまくいかない、親子がうまくいかない、あーあって暗い夕暮れを迎える時に、でも明日ま た頑張ってみよう何かいいことがあるかもしれない、かすかな明かりを見いだす人、これは理性で思うよりも何より自分がそういうタイプの人は信頼感、人に対 する自分に対する信頼感がどこかで無意識のうちに火種に火をつけるんです。
そして、朝、朝日が昇ってなんとか生きてみようって思う訳です。これは言葉で説得より何より、その人の人格の深いところにある力、活力なんですね。赤ちゃんは希望でしょう。
つまりもう100回も1000回も、一日に何回も何回も、一年経ったら100回も1000回もありますが、泣いたら来てくれる泣いたら来てくれる、あのつ らいお腹がすいて苦しいとき助けに来てくれたという経験を何回も何回も経験すると、人生でうまくいかない時も、もしかしたらうまくいく日が来るかもしれな い。未来について誰も何の保障もないんですよ。
希望というのはそういう時に生まれる力ですから、反対は絶望ですけれど、絶望も我々は感じます。もう絶対駄目だと思う、誰も明日のことは分からないにも関わらずネガティブに思うのを、絶望といいます。そして、その中にかすかでもいい光を見いだす。
だから子どもの時基本的信頼感と希望という力は、これは大人になって、どうしてこの人はこんなに不幸の問屋さんみたいにね苦しんでいて、私の前に来る患者さんなんかもそうですが、
もう本当になんとまあ次から次へと苦しい試練の中に、と思うような方でも、ふっとね、でも人生何かあるかもしれません。なんとか頑張ってやってみたいと思いますっておしゃる方があります。
これは、私が説得したりなんかよりも、自分の内側から、さっきのディベロプメントですね。
何か種のようなものが自分の中で立ち上がる訳ですね。
